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公開日:2018年08月03日  最終更新日:2022年05月01日

不動産と歩合制の歴史

豆知識

フルコミッション営業において、契約1件あたりの単価が高い不動産業は人気が高い業種の一つです。ところで不動産にはどんな歴史があるのかをご存知でしょうか。不動産についての歴史を知っていると、仕事をする際により一層の遣り甲斐が見いだせるようになりますよ。今回は不動産の歴史について紹介させていただくので、ぜひ参考にしてください。

日本における不動産とは?

不動産という言葉の成立は、明治時代まで遡ります。一説によると民法の編纂が行なわれた際、参考にしたフランス民法の中の言葉を「動産・不動産」と翻訳したのが始まりだとされています。
不動産とは土地や建物・立木のことを指し、昔の日本人は土地を財産として見るよりも「縄張り」とする認識が強かったようですね。日本の歴史の中で土地の概念はどのように変遷していったのか、さっそく見ていきましょう。

荘園の成り立ち

645年の大化の改新により、天皇を中心とする中央集権国家としての国作りが始まりました。これにより土地は公地であり、民は公民という考えが取り入られるようになります。
ところが重税や労役に耐えかねて田畑を放棄する農民が現れるようになったので、723年に「三世一身法」が定められます。土地を開墾した者は自分、子供、孫の三世代まで土地の私有を認めるというものでしたが、いずれ国に土地の所有権を奪われてしまうことに変わりはありません。そこで743年には「墾田永年私財法」という、開墾した土地の永続的な私有を認める制度が定められました。これにより貴族、豪族、有力な寺社などが農民を集めて土地の開墾を行い、私有地の拡大を図るようになります。この土地が「荘園」と呼ばれ、本格的な土地の私有化が始まるようになりました。

やがて荘園では自らの土地を自分たちで守るという意識が生まれるようになり、人々は武装して土地を守るようになります。その人々が武士となり、時代が下って鎌倉幕府が成立すると幕府に奉公するようになりました。地頭として補任された武士たちは、所領の支配権が幕府から保証されるようになります。

荘園の衰退、消滅

地頭や各地の治安維持を行う守護の力が強くなると、次第に荘園の支配権を略奪するようになりました。その影響で全国的に戦乱が相次ぐようになり、荘園の支配関係は不安定な状態に突入してしまいます。

足利氏が創設した室町幕府では鎌倉幕府の守護制度を継承しており、国内の統治を安定させる為に地方武士を組織化して、各地の守護権限を強化しました。これが「守護大名」と呼ばれ、国内の荘園から年貢の半分を徴収することのできる権利が与えられるようになります。さらに1368年の「応安の半済令」では年貢の半分だけでなく土地自体の半分割も認められるようになり、守護大名による荘園への侵出が激しくなっていきます。
一方荘園では村落同士が集まって地域を自治する共同体が築かれるようになり、農民の自立が始まりました。守護大名の侵出と農民の自立は結果的に荘園の弱体化を招き、衰退への道を進み始めます。

やがて土地を自らの武力で確保・確立する「戦国大名」が登場します。戦国時代の突入ですね。戦国大名の力は守護大名よりも強く、守護大名の一部は戦国大名に転身し、一部は没落していきます。
戦国大名はそれまでの権力関係を解消して領土の拡大を進めていきますが、1580年に豊臣秀吉が行った「太閤検地」で荘園は消滅してしまいます。以降は全国の土地と農民は、大名が直接的に支配・管理を行うことになりました。

江戸時代の長屋システム

1603年に徳川家康が幕藩体制を整えて安定した統治・経済システムが確立されると、都市部に人口が集まるようになり賃貸住宅としての「長屋」が誕生します。長屋の仕組みは以下のようになります。
①富裕層の商人が土地を所有し、長屋を建てて大家を雇う。
②大家は建物の管理や、店子(入居者)からの徴収を請け負う。同時に店子の身元保証人となり、仕事の斡旋を行うなどの世話も焼く。

大家は現代でいうところのオーナーよりも、管理人の方がイメージに近いようですね。この長屋システムが現在の不動産業の始まりだとされています。

明治~大正~昭和期の不動産

さらに時代は下って1867年、大政奉還により明治時代が幕を明けます。
明治政府が行った改革によって土地の税は物納から金納に、納税者は耕作者から土地の所有者へと変更になりました。土地の所有権が法的に証明されて財産としての価値が認められると、やがて土地の取引が行われるようになっていきます。
さらにこれまで制限されていた移動の自由と職業選択の自由が広まったことで、国民の生活にも大きな変化が現れました。商業や産業が盛んな土地に人々が集まるようになり、江戸時代からあった長屋システムの流れや、金融担保としての不動産の賃貸・売買が飛び交うようになると、仲介業者と不動産会社が誕生します。これが今日まで続く不動産仲介というスタイルの始まりだとされています。

1910年には日本における最初の集合住宅である洋風木造マンション「上野倶楽部」が東京・上野に建てられました。さらに1916年には長崎県の端島(軍艦島)に日本初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅が建てられ、続いて横浜や東京にも鉄筋コンクリート造りの集合住宅が建てられるようになります。

第二次世界大戦後は都市の復興を図る為に、国と民間の双方から住宅の供給を目指したことで、分譲住宅や賃貸マンションなどの建設が進んでいきました。

不動産のフルコミッション営業で稼ぐ

第二次世界大戦後、終身雇用と年功賃金が日本の雇用制度の特徴とされてきました。
しかし長い経済成長低迷期に突入し、日本企業の中にも歩合給や成果給といった欧米型の賃金体系を導入するところが増えてきました。ただし日本では賃金抑制モデルとして歩合給を導入しているケースも少なくありません。
あるケースだとそれまで基本月給30万円だったところが、「基本月給20万+歩合給」という形となり、企業側にとって有利な形に変更しただけだという場合もあるようですね。
本来の欧米型歩合給における目的は、企業は多くの賃金を支払う対価としてより多くの成果を出してもらうというものです。つまり基本月給30万円は減らさずに、さらに歩合給を上乗せするというのが正しいやり方となります。

歩合給は働く人間にとってモチベーションが上がりますが、こうした悪い導入事例があることも覚えておきましょう。歩合給で稼ぎたいと考える場合、もっとも向いているのは完全歩合制であるフルコミッションです。フルコミッションは基本給がない代わりに歩合給が高く設定されており、とくに不動産は成約1件における単価が高いので月収数百万円以上も夢ではありませんよ。

まとめ

歴史の中で土地をめぐる仕事はさまざまな形で移り変わり、また受け継がれてきました。不動産業はかつて貴族や武士が支配・管理を行っていた土地を扱う仕事なのだと思うと、感慨深いものがありますね。
また不動産営業で高額収入を期待するのなら、企業で導入されている歩合給よりもフルコミッションをオススメします。不動産営業の仕事に興味があり、高額収入を希望する人はフルコミッション営業に視野を広げてみてはいかがでしょうか。きっと今以上に仕事に遣り甲斐を感じ、多くの収入が期待できるようになりますよ。

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